我が子が起立性調節障害を発症したのは、中学1年生の1月。
3学期はほとんど学校へ行くことができませんでした。
何とか定期テストだけは受けに行く、そんな日々でした。
そして、中学2年生を迎えました。
新しい担任の先生との出会い
新しい担任の先生は、
「遅刻でもいいから、来られる日に来よう」
という姿勢で接してくださいました。
その言葉に、
私の気持ちも少し軽くなりました。
それまでの私は、
「朝から学校へ行くことが当たり前」
だと思っていました。
でも、この頃から目標は変わります。
朝から行けなくてもいい。
お昼からでもいい。
1時間だけでもいい。
まずは、少しでも学校へ行ける日を増やしていこう。
そう考えるようになりました。
わが家の新しい目標
学校までは電車で1時間以上。
体調が安定しないぴーたんが、
一人で通学するのは負担が大きすぎると感じ、
私は車で送迎することを決めました。
往復すると2時間…
それまで高速道路を運転することはあまりなく、
最初はハンドルを握るだけで緊張していました。
でも、
「ぴーたんを学校まで送りたい。」
その思いだけで、
一日、また一日と運転にも慣れていきました。
「今日は行けるかな」から始まる朝
毎朝、私は早めに身支度を済ませ、
いつでも出発できるように準備をしていました。
でも、その日の予定は決められません。
朝は、一日の中でいちばん緊張する時間でした。
私は何度もぴーたんの部屋のドアをそっと開けます。
「今日はどうかな。」
「調子どう?」
「行けそう?」
そう声をかけると、
「行けるかも」と返ってくる日もあれば、
起き上がることもできず、
「今日はまだ無理そう…」という日もあります。
だから、またそっとドアを閉める。
しばらくして、もう一度部屋へ行く。
「どうかな。」
また様子を見に行く。
そんなふうに、
何度もドアを開けたり閉めたりしながら、
ぴーたんの様子を見守る朝を過ごしていました。
朝から行ける日もあれば、
お昼近くになってようやく動ける日もある。
今日は行けるかな。
今日はどうだろう。
そんな気持ちで一日が始まる毎日でした。
親子で過ごした車の時間
車の中では、
ぴーたんが静かに目を閉じて休んでいることもありました。
そんな日は無理に話しかけることはせず、
そっと見守ります。
少し元気がある日は、
他愛もない話をすることもありました。
学校のことではなく、
その日見た景色のことだったり、
テレビの話だったり。
特別な会話ではありません。
でも、親子で同じ時間を過ごす、
その何気ない時間が私には大切でした。
ラジオを聴きながら考えていたこと
ぴーたんを学校へ送り届けた帰り道。
一人でラジオを流しながら車を走らせます。
窓の外の景色を眺めながら、
「この生活はいつまで続くんだろう。」
「ぴーたんは大丈夫かな。」
「私はこれでいいのかな。」
そんなことを考えていました。
当時は、とにかく毎日を乗り切ることで精一杯でした。
朝はぴーたんの様子を見ながら一日が始まり、
行けそうになれば急いで車を走らせる。
その繰り返しでした。
先のことを考える余裕なんてありません。
ただ、
その日を無事に終えられること
それだけを願っていました。
あの日々に無駄なことはなかった
でも今振り返ると、
あの日々に無駄なことは一つもなかったと思います。
ぴーたんと過ごした車の中の時間。
勇気を出して
高速道路を運転するようになった
私自身の小さな変化。
そして、
一日一日を積み重ねることの大切さ。
あの頃は、
その時間にどんな意味があるのかなんて
考える余裕はありませんでした。

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