見えないところで、子どもは心をすり減らしているのかもしれない

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子どもが朝起きられなくなったとき、親は「どうしたら元気になるのだろう」「どうしたら学校へ行けるようになるのだろう」と答えを探し続けます。

でも今振り返ると、私が見ようとしていたのは「学校へ行けるようになる方法」ばかりで、我が子の心の中にある本当の思いには、気づけていなかったのかもしれません。

今回は、当時は見えていなかった、「子どもの心」について綴ります。

思春期は、心も大きく揺れ動く時期

中学1年生。

思春期は、
体が大きく成長するだけでなく、心も大きく揺れ動く時期です。

新しい学校生活、勉強、部活動、友達との関係…。

毎日を普通に過ごしているように見えても、
一人ひとりが目には見えない悩みや葛藤を抱えながら過ごしているのかもしれません。

ぴーたんにも、
部活動を通してとても仲の良い友達がいました。

でも、その頃から少しずつ、
友達との関係に違和感を抱くようになっていました。

小さな出来事の積み重ね

言っていたことと違う行動をされたり、
約束が守られなかったり、
お金のことでも「これってどうなんだろう」と感じる出来事が重なったり…。

どれも、一つひとつだけを見れば大きな出来事ではなかったのかもしれません。

でも、ぴーたんはもともと、約束を守ることや誠実であることを大切にする子です。

だからこそ、
その小さな積み重ねが、想像していた以上に
心の負担になっていたのではないかと、
今になって思います。

もちろん、
それだけが起立性調節障害や学校へ行けなくなった原因だったとは思っていません。

人の心や体は、
そんなに単純なものではないからです。

さまざまな出来事や思いが重なり、
ぴーたんの心には少しずつ
負担が積み重なっていったのだと思います。

親には見えない心の中

でも当時の私は、
そのことに気づけませんでした。

親だからといって、
子どもの心の中がすべて見えるわけではありません。

家族であっても、
その人が抱えている思いや苦しみは、
その人にしかわからないものがあります。

「大丈夫そうに見える。」

「いつものぴーたんだから。」

そんなふうに思っていた私の知らないところで、

ぴーたんは
一人でいろいろな思いを抱えていたのかもしれません。

私も「こうあるべき」に縛られていた

そして今振り返ると、
もう一つ感じることがあります。

あの頃の私は、
「学校へ行けることが何より大切」
そう思っていました。

朝起きて学校へ行き、
授業を受け、
みんなと同じように毎日を過ごすこと。

それが当たり前で、
それができることが幸せなのだと、
疑うこともありませんでした。

もちろん、
その考え方が悪いということではありません。

私自身も、
そういう価値観の中で育ち、
それが当たり前だと思って生きてきたからです。

でも今振り返ると、

「学校へ行くべき」
「みんなと同じように過ごせることが当たり前」

という「こうあるべき」という価値観に、
私自身も知らず知らずのうちに縛られていたのだと思います。

その思いは、
私自身を苦しめていただけではなく、

もしかすると、
ぴーたんにも見えないプレッシャーとして
伝わっていたのかもしれません。

あの頃は、
まだそんなことに気づく余裕はありませんでした。

ただ、
どうしたら学校へ行けるようになるのだろう。

その答えだけを必死に探していたのです。

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